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2025年11月24日月曜日

深秋

お久しぶりです。こんなに長く放置していて、読んでもらえるかしら...。オデットもブラッキーも変わりなく元気に過ごしています。11月になってようやく涼しくなって、オデットはぐんぐん歩くようになりました。


二匹とも白髪と寝る時間は増えたけど、よく食べて病気知らずに過ごせています。週末はお父さんとバラ園へ行ったり、紅葉を見に行ったり。涼しくなって、昼間もお友達と遊べるようになりました。









オデットとブラッキーが並んでいることが増えました。一緒に遊んだりはしないけど、家族って思っているんでしょうね。

家族ではないけど、遊ぶ時はいつも一緒だった大好きなヴィラが天国へ行きました。ヴィラも盲導犬の繁殖犬で、人の言葉がよくわかる賢い犬でした。遊ぶ時は猛スピードで駆け抜ける瞬発力があって、子犬ともよく遊ぶ優しいお母さん。

そんなヴィラが夏に10歳の誕生日を迎えてすぐに乳腺ガンを煩いました。涼しくなったらお祝いしようねって話してたのに、ガンとわかってからの進行があまりにも早く、わずか1ヶ月で逝ってしましました。若いうちに避妊手術をしていれば、乳がんや子宮がんのリスクは下がると言いますが、繁殖犬として生を受けた運命。6歳までに3回の出産をして、盲導犬を送り出したヴィラ。10歳になってシニアの仲間入りかなと思った矢先の病気。それまで大きな病気もない子だったのに、私たちにとってそれはあまりに突然で、今もまだ現実として受け入れられていないかもしれません。
ヴィラを見舞いに行ったとき、みんなに蝶の話をしました。
ジュリの母犬エミーが亡くなった時、黒い大きなアゲハ蝶が親しかった人の前に次々に現れたことがありました。私も散歩中に黒アゲハがすぅっと寄ってきて、後にも先にもそんなことはありません。そして、今年の夏、うちに庭に毎日黄色いアゲハ蝶が来ていました。よく来るなぁと思っていたのですが、ある日ふと、それがジュリなのかも?って気づいたんです。それからは、黄アゲハに「ジュリ、わからなくてごめんね!」って謝って...。
そしたら、お友達が「じゃ、ヴィラはモンキチョウね!」って言ったんです。その時、ヴィラが私の顔を見ていたので、「ヴィラはまだ生きてるもんね!」って話しかけたんですが、しっかり聞いていたようで、ヴィラが亡くなって火葬する日の朝、うちの庭にモンキチョウが現れ、お友達のところにも現れ、なんと指に止まったんです。そして、火葬場で悲しみに暮れる家族の前に現れ、ひらひらと自由に飛び回って見せたそうです。
それからも何度も、オデットたちと庭に出ているとモンキチョウは遊びに来て、ふと消えていきます。
うちに遊びに来た時のヴィラとオデット。ヴィラはジュリの血縁で、ジュリとも似ていました。ヴィラが亡くなって1ヶ月が過ぎましたが、やっぱりまだ寂しい。

人のために仕事をして、こんなに純粋で一点の悪い考えもないようなワンコが、なぜ病気に苦しまなくてはいけないのか納得いかなくて、なぜ?なぜ?って答えは出ないけど考えてしまいます。

2024年10月28日月曜日

ジュリ、ありがとう

 先週の月曜日、ジュリが静かに息を引き取りました。とても静かなお別れでした。



8月の白血病の診断以来、夜中にはぁはぁと呼吸がきつそうになったり、楽になったりを繰り返していました。お薬の力を借りて、散歩もご飯も今まで通りにできていました。

最後の日曜日のお出かけ







10月17日(金)まで3匹一緒に散歩していました。この日は家に着く頃、少しきつそうだったので、翌18日(土)は散歩をお休みし、ワンツーには自分で歩いて行きましたが、午後になり体調が悪化、後ろ脚が全く立たなくなりました


意識や表情ははっきりしていて、日曜日の朝、私がオデットとブラッキーを連れて散歩に出ると、匍匐前進をするように、ジュリも玄関の方へ行こうとしていたそうです。



食欲はあり、なんでもガツガツ食べて、水もガブガブ飲んでくれるので、まだまだ元気に介護が続くかなと想像していました。
月曜日にユーザーさんに連絡をしたところ、すぐに来てくれて、その日はゆっくりジュリと過ごしてもらいました。ジュリも喜んでいたと思います。マグロをパクパクと食べて見せて、水も勢いよく飲み干した姿をみて安心して、「また来週ね」と夕方帰られました。


その後、夕ご飯を準備したけれど、ガンとして口を開けない。水も飲もうとせず、口を固く閉じたままでした。二日間、うんちをしていなかったので、マッサージをしたりして排便を促すと、お腹が空っぽになるくらい出してくれました。体力も使ったので、フーッと体の力が抜けました。「スッキリしたねー」と汚れた体を拭いて綺麗にしました。
ジュリはしばらくして、ぐーーんと大きく伸びをするように体を伸ばしました。私は咄嗟に家族を呼び、みんなでジュリを囲んで撫でていました。すると、まもなく、静かに穏やかに呼吸が止まりました。
ユーザーさんにも会えて、ジュリは天国へゆく準備ができたように感じました。
酸欠で呼吸は辛かったと思いますが、痛みはなかったはずです。最後まで鳴き声を聞くこともなく、困らせることもなく優しい子でした。たった2日間、紙おむつ4枚だけの介護でした。


ジュリとオデット

月曜日の午後11時に亡くなり、水曜日にお別れするまで、ジュリはそこに眠っているような綺麗な姿でした。ジュリの柔らかな美しい毛並みは変わらず、ずっと触っていたかった。オデットとブラッキーは、亡くなる瞬間は、いつもなら寝ている時間なのに隣の部屋からじっと見つめていました。斎場で見送った日も2時間以上、足元に二匹で寄り添って待っていました。
そしてジュリがいなくなってから、オデットもブラッキーも寂しそうにしています。犬たちもわかるんですね。
ジュリとブラッキー

王冠はママ犬エミーちゃんとお揃いです
すぐに見つけてもらえるように

お花とおやつも持たせて

ジュリを見送った日の夕焼け

14年前、私は愛犬を見送って3ヶ月後に、パピーウォーカーとしてジュリを迎えました。子どもたちが10歳、7歳、5歳の時です。生後50日のジュリは小さくて可愛らしく、起きている時ははげしく噛み付く元気なパピーでした。初めて子犬と暮らす子どもたちは、噛みつくのが怖くてソファの上に逃げていましたが、すぐに慣れて一緒にケージに入ったり、風邪を引くと添い寝してもらったりしているうちに、ジュリの成長の方がずっと早くて、子どもたちよりも大人になり、訓練犬として盲導犬協会に入学しました。5歳の末っ子は年下のジュリのおかげで随分と成長し、また、ジュリを迎えた事によって皆、社会経験も積むことができました。

私は、「盲導犬候補として生まれたからには、盲導犬にしなくちゃ!」と意気込んで、協会からもらったマニュアルを手に、無我夢中でジュリを育てました。一年後の修了式のあとは、心にぽっかりと大きな穴が開きました。大切なジュリは生きているのに、私は会うこともできず、見ることも許されず、できることは、ただただジュリの幸せを祈るだけでした。そして、もう一度一緒に暮らせるとしたら、「ジュリが盲導犬になって、元気に引退して、帰ってくること」そう自分に言い聞かせていました。

もちろん、たとえ盲導犬になれても、帰ってくることは決まっていません。ですが、ユーザーさんのおかげで、私はジュリと再び一緒に暮らす機会をいただきました。それは9年越しに叶った願いでした。ジュリと再び暮らした3年と10ヶ月は特別な時間でした。オデットとジュリでいろんなところへ遊びに出かけ、そこへブラッキーも帰ってきてくれて3匹となり、幸せは3倍、30倍、300倍と膨らみました。

ジュリをお空に見送って寂しいことに変わりはありませんが、不思議と、修了式でのやるせない別れよりも辛くありません。毎日ずっと一緒に過ごしていたし、夜中にジュリの呼吸が辛そうな時は、隣でさすっていられました。そうした体の辛さから解放されて、全てやり切ったような穏やかな顔で眠るジュリを見ていると幸せしか感じませんでした。今はただ、ジュリと出会えたことに感謝しかありません。たくさんの人を魅了し、愛し、愛される存在のジュリにありがとうという気持ちでいっぱいです。ジュリとの出会いがなければ、私の盲導犬ボランティアも14年も続いていなかったかもしれません。私にとってジュリは、完璧な犬、パーフェクトドッグでした。ジュリ、ありがとう。