先週の月曜日、ジュリが静かに息を引き取りました。とても静かなお別れでした。
最後の日曜日のお出かけ |
ジュリとオデット |
ジュリとブラッキー |
王冠はママ犬エミーちゃんとお揃いです すぐに見つけてもらえるように |
お花とおやつも持たせて |
ジュリを見送った日の夕焼け |
14年前、私は愛犬を見送って3ヶ月後に、パピーウォーカーとしてジュリを迎えました。子どもたちが10歳、7歳、5歳の時です。生後50日のジュリは小さくて可愛らしく、起きている時ははげしく噛み付く元気なパピーでした。初めて子犬と暮らす子どもたちは、噛みつくのが怖くてソファの上に逃げていましたが、すぐに慣れて一緒にケージに入ったり、風邪を引くと添い寝してもらったりしているうちに、ジュリの成長の方がずっと早くて、子どもたちよりも大人になり、訓練犬として盲導犬協会に入学しました。5歳の末っ子は年下のジュリのおかげで随分と成長し、また、ジュリを迎えた事によって皆、社会経験も積むことができました。
私は、「盲導犬候補として生まれたからには、盲導犬にしなくちゃ!」と意気込んで、協会からもらったマニュアルを手に、無我夢中でジュリを育てました。一年後の修了式のあとは、心にぽっかりと大きな穴が開きました。大切なジュリは生きているのに、私は会うこともできず、見ることも許されず、できることは、ただただジュリの幸せを祈るだけでした。そして、もう一度一緒に暮らせるとしたら、「ジュリが盲導犬になって、元気に引退して、帰ってくること」そう自分に言い聞かせていました。
もちろん、たとえ盲導犬になれても、帰ってくることは決まっていません。ですが、ユーザーさんのおかげで、私はジュリと再び一緒に暮らす機会をいただきました。それは9年越しに叶った願いでした。ジュリと再び暮らした3年と10ヶ月は特別な時間でした。オデットとジュリでいろんなところへ遊びに出かけ、そこへブラッキーも帰ってきてくれて3匹となり、幸せは3倍、30倍、300倍と膨らみました。
ジュリをお空に見送って寂しいことに変わりはありませんが、不思議と、修了式でのやるせない別れよりも辛くありません。毎日ずっと一緒に過ごしていたし、夜中にジュリの呼吸が辛そうな時は、隣でさすっていられました。そうした体の辛さから解放されて、全てやり切ったような穏やかな顔で眠るジュリを見ていると幸せしか感じませんでした。今はただ、ジュリと出会えたことに感謝しかありません。たくさんの人を魅了し、愛し、愛される存在のジュリにありがとうという気持ちでいっぱいです。ジュリとの出会いがなければ、私の盲導犬ボランティアも14年も続いていなかったかもしれません。私にとってジュリは、完璧な犬、パーフェクトドッグでした。ジュリ、ありがとう。